和牛のルーツは意外と浅い!?

当サイトで一番人気のお店! 味、品質共に申し分なく、 当サイトで一番人気のお店で 最高級の松阪牛をお手頃な価 格でという方にオススメです。
特選松阪牛専門店 やまと
通販で年間60万人以上が訪れる人気店です。日本三大和牛に匹敵する米沢牛をお買い得価格で提供する信頼のおける米沢牛専門店です。
米沢牛専門店 さかの
味には定評のあるA5等級の飛騨牛がリーズナブルな価格で楽しんでいただけます。


飛騨牛専門店 極
 

tajimagyu_tajirigou

和牛は古来より日本にいる在来種と思われがちですが、そのルーツは以外で、歴史もそれほど長いものではありません。

和牛といわれる牛は、黒毛和種、褐毛和種、短角和種、無角和種の4種類。

それぞれ誕生した土地、年代、経緯などすべて異なります。

特に高級なお肉の代表である黒毛和牛は、古来より日本にいるイメージが強いのですが、実際のところ、日本の在来種と外国産の品種を掛け合わせた混合種であることが殆どです。

そもそも牛は1万5000年前には野生で群れを作って生活をしていたそうです。

それを裏付ける証拠がフランスのラスコー洞窟の壁画に残っています。

luscaux_fresco

やがて仔牛が捕獲されて家畜化されました。

日本でも縄文時代から弥生時代に家畜化が始まったとされていて、その証拠として遺跡から多くの牛の骨が見つかっています。

また、奈良時代に編纂された日本書紀や続日本書記には、牛や馬などの肉を食べることを禁止する令が出ていることから、弥生時代からこのころまで牛肉が食べられていたことが推測できます。

そして仏教が広く定着するとともに戒律によって殺生を禁じられたため、牛は公には食べられなくなり、農耕や運搬のために飼育されるようになります。

そんな時代が日本では長く続きましたが、江戸時代末期から明治時代になって西洋文化が入ってきてキリスト教の布教が解禁されると、多くの外国人が訪れるようになり、特に都市部において牛肉の需要が高まります。

また、仏教の殺生戎の影響による肉食禁忌は、一種迷信化して長く日本人の食生活を縛っていましたが、幕末の開国と共に多くの外国人が訪れるようになり、居留地などで肉食がされるようになり、肉食は瞬く間に公然化しました。

そして、慶応の頃には牛肉屋と屠殺場が江戸とその周辺でも見られるようになり、明治元年(1868)の神仏分離令の公布により、肉食が解禁されています。

明治初期に現れた牛鍋屋では、肉を食べることで勇気を誇示したい西洋かぶれの人や、大阪では緒方洪庵の塾、江戸では福沢諭吉の塾などに出入りをする洋学を学ぶ書生たちによって食べられ、これら知識人によって肉食の啓蒙が肉食の普及に大きく頁献したといわれています。

また明治5年(1872)1月24日は、明治天皇が初めて牛肉を試食された日とされています。

明治初期の東京の新聞『新聞雑誌』には、「我が朝にては、中古以来肉食を禁ぜられしに、恐れ多くも天皇謂(いはれ)なき儀に思召し、自今肉食を遊ばさるる旨、宮内にて御定めこれあたりたり」とあるそうです。

明治天皇は、文明国の取るべき姿として断髪の上洋装にされ、和食をフランス料理に変えることで1200年にも及ぶ肉食の禁を破り、牛肉の試食をされたことで、この年より宮中でも西洋料理が採り入れられるようになったといわれています。

天皇の名の下に肉食が公認されたことで、国民も肉食に対する偏見を改め、肉食は欧米文化に欠かせないものとして、肉食をするようになっていったわけです。

明治33年、農商務省はエアシャー種、ブラウン・スイス種、シンメンタール種などを海外から輸入して和牛と交配することを始めています。

これが高級とされる和牛のルーツになります。

その後改良に改良を重ね、昭和12年には「黒毛和種」という名称で認定されています。

現在登録されている黒毛和種の99、99%が、兵庫県香美町の小代(おじろ)地区で飼育されていた但馬牛の種雄牛「田尻号」が共通の祖先であると、社団法人全国和牛登録協会によって報告されています。

日本古来の純血種と思っていた和牛のルーツは意外なもので、江戸末期の西洋文化の流入や、明治になってからの文明開化と牛肉解禁がもたらした副産物とは驚きですね。

あわせて読みたい関連記事

    None Found

コメントを残す